その水溜りの深さは

思考とスタイル

ここ最近の自分が書いた記事を読み直してみた。特にへこんでたり、落ち込んでいる訳ではないのに何となくショボくれた印象だ。

先週に書いた記事から、あまりカッコつけて書かないように心がけている。何となくキザ過ぎるのが気になったからだ。

今日は小春日和で外はここ数日に比べると幾分過ごしやすい気候だったらしい。まあ夕方まで眠り続けて太陽すら見ていないのであまり関係ないんだけど。一人で温泉に行ったのが本日唯一の外出だった。一人でお湯に浸かっていると色々と考え事が捗る気がする。そんな考え事のなかでふと気付いたことがあったんで、メモ代わりにここに記しておく。

「頭がいい」っていうのはどういうことを指すのだろう。成績がいいとか、知識が豊富とか、定義は人によって変わると思うけど、俺は「インプットとアウトプットが上手い人」だと思う。意識高めな横文字を使ったけれども、要は色んな考え方を知っていて、それを上手に使いこなせる人ってことだ。

仕事にしても将来にしても、「よく分からんけどまあ皆もそんな感じだし何とかなるか」って具合に思考をおざなりにする時があると思う。(少なくとも俺の場合、今まではほとんどコレ)そして大体の場合、それで何とかなっちゃう。

でもこの先ずっとそれで生きていけるとは思わないし、それで生きていきたいとも思ってない。だから自分の頭に少しでも多くの生きる術を叩き込んでいかなきゃならない。

人と会って話をしたり、本を読んだり、趣味について学んでみたりすると、吸収することが沢山ある。それを上手に組み合わせて活用できることが、俺にとっての「頭がいい」の定義だ。

でも自分の流儀、スタイルを持っていないと、せっかく吸収したものをどうやって再構築していいか分からなくなると思う。

例えば、俺は人付き合いで誰かと揉めたりすることは滅多にないけど、それは俺のなかで人付き合いのスタイルがある程度固まっているからだと思う。

流儀なんてものは人によって異なるし、端から見ればバカなだけに映ることもあるだろう。

頭のよさとバカさ加減を程よくミックスさせることが、自分の能力を向上させることに繋がるだろうし、今後何かに迷うことも少なくなるんじゃないだろうか。


多分、ふくの湯春日店でこんなことを考えてたのは俺くらいだと思う。