この心が揺れる時
分かってる。先ずは言い訳から始めさせてほしい。
思いついた時は自分のネーミングセンスに酔いしれたもんだ。
なにかと動作が遅い俺は、ブログの内容やタイトルを考えてから実際に書くに至るまで数日間かかるようなことも多々ある。
今回の投稿もそれに該当するのは言うまでもない。
「この心が揺れる時」
うーーーん、いいタイトルだ…。でもどっかで聞いたことあるんだよなあ。
まあでも、思いついた時は確かに自分で思いついたんだし。
まあいいか、悪かない別に。
こんな言い訳しかできない女々しい俺をどうか許してほしい。この話はブログに残しておきたかったんだ。
さてさて、読者の方々は一体どんな時に“心が揺れる”時を感じるのだろうか。
仕事で成果を残した時。
友達と朝まで飲み明かした時。
女の子と遊んだ時。
趣味を全力で楽しんだ時。
色んなケースがあると思う。逆に、どのケースも当てはまらないことだってあるとも思う。
俺は一体どっちなんだろう。それが分からないまま、流れに流され、25年間、嵐の後に漂う流木のように周りに流されここまで生きてきた。
今年で26歳、青臭い理想を語るだけの年齢ではないことは重々承知しているつもりだ。飲み会の次の日や、惰性でこなしただけの雑務の後に感じる虚無感とは、いい加減おさらばしたいところである。
今の俺に出来ることがあるとすれば、そんなどうしようもない自分の日常や、それに付随する感情を文章にして、このブログに残すことぐらいだ。
そんな愚行がこの先役に立つのかは全く予想もつかない。
それでも、いつかこの心が揺れるその時を信じて、拙い文章を綴っていこうと思う。
P.S
自分の文章を見直すと、どうも歪んだナルシズムを感じてしまうことが多い。
いつか、その話題についてもこの場所で書くことが出来るといいな。