その水溜りの深さは

昨日

3月17日。日曜日。

今月に入ってから2回目の休みだったこの日は、充実していたと思う。

起床は9時30分、この時刻を早いと思うか遅いと思うかは人それぞれだけれど俺からしたらかなり上出来な方だ。夜明け前に起きるのと同等なくらいある。よくやった俺。

日頃は分刻みのスケジュールのなか迫り来る仕事と戦っている代わりに、休日は時間の概念なんてどうでもいい。最近、腕時計をつけなくなった。あとせっかちな人が少し苦手になった。

起きたらだらだらとスマホをいじる、ことなく家事と各種支払いを片付けた。

おかしい、俺にしては手際が良すぎる。普段なら絶対にこんなこと出来ない。でも、今日は出来てしまったのだ。(これ以上自画自賛するとバッシングが凄そうなのでやめておこう)

 

友人が1人泊まりに来ていたので、彼と近くの銭湯に行った後に、二日市まで後輩が働いているハンバーガーショップまで昼飯を食いに行った。

余談だけど晴れた日の昼に入る温泉は格別に気持ちがいい。風呂で考え事をすることが多いんだけど、やっぱりボーッとするのって最高だな。今日は本当に頭カラッポでお湯のなかでふやけているだけだった。

ハンバーガーも美味しかったし、言うことなし!

 

ちなみにここまでの移動手段は全部バイクである。二日市までは約30分なので、プチツーリングみたいな感じだ。後ろに人を乗っけるのは怖かったけど、風呂上がりに少し冷えた風をあびながら運転するのも、また格別。

その後は一旦バイクを降りて天神に向かって馴染みの古着屋を数件回った後、博多に移動して陽が高いうちから酒を飲んだ。

あまり深酒はしていないが、家に帰り着くとそのまま倒れるように眠った。いやむしろ眠るように倒れたと言った方がいいかもしれない。

ループする日常への不安を拭うかのように過ごした1日だった。

満足感と明日から始まる連鎖する日常に恐れを抱きながら、俺の休日は幕を閉じたのであった。

 

 

黒に染まりし者

ある一人の青年がいた。

青年は働くことの意味を理解していなかった。また、理解しようともしていなかった。

働きたくない、それが青年にとってのささやかで、高慢な願いであったのだ。

 

青年は社会へと出た。

どんなに駄々をこねても、社会は彼の願いを聞き入れてくれることはないということを理解していたからだ。

青年には優れた能力は無い。特筆すべき才能も持ち合わせていない。

そして何より経験が無い。

人々の群れと共に生きる為に青年が持ちうる唯一の術は、己より強い個体に付き従い、群れのなかにある更に小さな集合体に属することで安定と保護を受け取ることであった。

しかし、打たれ弱く努力が苦手な青年にとってその一手は最善とは言えなかった。

集合体に属するだけの資格も持ち合わせていなかったのだ。

 

社会に出るのは早かったのだろうか。

俺は何をしているのだろう。

何で俺はここにいるんだろう。

何の為に生きているんだろう。

 

青年の頭に、様々な疑問が新幹線の様なスピードで飛び交っては、消えていく。

 

青年は考えることをやめた。

それから幾分かの月日が経った。

 

青年はついに、そして唐突に群れから飛び出した。

もう一度自分を鍛え直す必要がある。

それは青年が心に秘めていた願いとは、しばらくのあいだ決別し、反対側の道のりを歩くことになる。

それでも青年は、知らず知らずのうちに失っていた空白の時間を取り戻したくなったのだ。

 

青年の旅は続く。

 

~To be continue~

働く清掃員!バール片手に大暴れ!

今朝、帰宅後の時間を浪費しないようにとブログを更新していたが、その判断は正解だったと思う。

起きてから一時間も経っていない割には頭が冴えていたようだ。結局、23時過ぎに家に帰り着いてから、仕事の事務処理や家事をしているうちにこんな時間になってしまった。正直もう寝てしまおうかと思ったが、それは今朝の自分とこの文章を読んでくれている人たちを裏切ることになってしまう。それは自分自身にとっても失礼だし、読者(いるか分らんけど)とこのブログとの間にある関係性にヒビを入れてしまう可能性だってある。

 

ヒビ...

 

そう、皮肉にも今日の仕事はまさにヒビを入れるような職務内容であった。

午前中、ある市街地にあるマンションに呼ばれた俺は少し乗り慣れた軽自動車を走らせ現場へと赴いた。

リフォーム中のビルであったから、概ね仕上げの清掃だろうと思っていたのだが、俺の予想は外れることになる。

現場に入ると、先に仕事を始めていた上司から本日の業務内容が告げられた。

 

「はい、これで浴室のタイルを全部叩き割ってくれ」

 

差し出されたのは、1本のバールであった。

...?

清掃員だよな俺...?

 

部屋の壁をペンキで塗装したこともある。

ビルの足場に登って外壁を掃除したこともある。

まあそれはまだ分かる。

 

今回は掃除どころかただの破壊活動である。

根本はテロリストと同じではないか。

 

そういえばちょっと前にテロリストが寿司屋を経営する話を断片的に書いたことがある。その物語で握られていたのはシャリとネタだったが、現実ではバールとはこれ如何に。

ちなみに俺の思想は右でも左でもない。後ろ向きである。

そうは言っても仕事は仕事。

バールを持つ。鏡に映る自分を見る。

ああダメだこれ。完全にアウトだこれ。

パニック映画の中盤で発狂して暴れて結局そのままフェードアウトするタイプのキャラクターだコイツ。

 

そんなことを考えながら、浴室で大暴れした1日だった。

 

結局、タイルはバールよりもマイナスドライバーとハンマーを使ったほうがよく割れた。

職人が木像を掘るように、タイルにドライバーを押し当てハンマーでその柄を叩くのだ。もしこの先、タイルを割らないといけない状況になったら、どうかこの記事を思い出して欲しい。

今日伝えられることはこのくらいである。


Korpiklaani-Wooden Pints [sub español]

ちょっとした日課

今日は仕事が終わったら、家に帰って溜まってる事務作業をちょっと終わらせよう。

それから少し歩いたところにある弁当屋まで歩いて行って晩飯を調達する。

ブログに書きたいこともあったし、進めたいゲームもあるから、10時か9時からはその時間にしよう。

帰ってだらだら時間を浪費しない為にも、ちょっとメモ代わりに書いとこう。

 

センチメンタル・ザッショ・シティ

福岡県は博多区雑餉隈

かつては第二の中洲と呼ばれ、飲食店や風俗店が建ち並ぶ歓楽街だったが、風営法の改正により多くの店舗が閉鎖。まるでそれから時計の針が止まったままかのように、この街には当時の哀愁を感じさせる雰囲気が漂っている。

くたびれた風が吹くこの街に越してきてから、もうすぐ二年が経つ。

哀愁酒場ばかりだが、そんなところも何だかんだ気に入っている。でも雑餉隈の人間と酒を飲むとロクなことがない。アルコールと同調圧力に負けて10万円を数時間で溶かした事件は、またいつかどこかで話したいと思う。これは本当に黒歴史

又聞きだが、雑餉隈には「とんでもねぇ風俗」が今もどこかで営業しているらしい。好奇心と恐怖が半々だ。

そんなディープスポットである雑餉隈だが、この街からの脱出計画も少しずつ現実味を帯びてきた。良いことも悪いことも沢山あったと思う。勝利の美酒を飲み過ぎて翌日に二日酔いで全部吐き戻したような感覚である。

残りの月日を無駄にしないように過ごしたい。

 

思考とスタイル

ここ最近の自分が書いた記事を読み直してみた。特にへこんでたり、落ち込んでいる訳ではないのに何となくショボくれた印象だ。

先週に書いた記事から、あまりカッコつけて書かないように心がけている。何となくキザ過ぎるのが気になったからだ。

今日は小春日和で外はここ数日に比べると幾分過ごしやすい気候だったらしい。まあ夕方まで眠り続けて太陽すら見ていないのであまり関係ないんだけど。一人で温泉に行ったのが本日唯一の外出だった。一人でお湯に浸かっていると色々と考え事が捗る気がする。そんな考え事のなかでふと気付いたことがあったんで、メモ代わりにここに記しておく。

「頭がいい」っていうのはどういうことを指すのだろう。成績がいいとか、知識が豊富とか、定義は人によって変わると思うけど、俺は「インプットとアウトプットが上手い人」だと思う。意識高めな横文字を使ったけれども、要は色んな考え方を知っていて、それを上手に使いこなせる人ってことだ。

仕事にしても将来にしても、「よく分からんけどまあ皆もそんな感じだし何とかなるか」って具合に思考をおざなりにする時があると思う。(少なくとも俺の場合、今まではほとんどコレ)そして大体の場合、それで何とかなっちゃう。

でもこの先ずっとそれで生きていけるとは思わないし、それで生きていきたいとも思ってない。だから自分の頭に少しでも多くの生きる術を叩き込んでいかなきゃならない。

人と会って話をしたり、本を読んだり、趣味について学んでみたりすると、吸収することが沢山ある。それを上手に組み合わせて活用できることが、俺にとっての「頭がいい」の定義だ。

でも自分の流儀、スタイルを持っていないと、せっかく吸収したものをどうやって再構築していいか分からなくなると思う。

例えば、俺は人付き合いで誰かと揉めたりすることは滅多にないけど、それは俺のなかで人付き合いのスタイルがある程度固まっているからだと思う。

流儀なんてものは人によって異なるし、端から見ればバカなだけに映ることもあるだろう。

頭のよさとバカさ加減を程よくミックスさせることが、自分の能力を向上させることに繋がるだろうし、今後何かに迷うことも少なくなるんじゃないだろうか。


多分、ふくの湯春日店でこんなことを考えてたのは俺くらいだと思う。