その水溜りの深さは

2:金曜日の18時20分

 

船には大浴場がついていて、小さな銭湯くらいの広さになっている。浴場内には窓がついているので、浴槽で足を広げながら海を見渡すことができる。なかなか良い。

 

免許を取ったのはここ最近の話だが、ずっとバイクに憧れはあった。大学生にもなるとツーリングに出かける人や、後ろに彼女を乗せて街を走るような人も多く見かけるようになった。思えばこの時すぐにでも教習所に通えばよかったものの、僕は行動するまで時間がかかる人間みたいだ。しかし、本当に口にしたことを実行できるようになったことは、ここ最近の僕のなかで大きな進歩だと言えるだろう。

大学時代のことを少し思い出す。スマートフォンの電波は回復したが、少しこのままにしておくことにした。

 

「オツカレ‼」

教室内で挨拶が飛び交う。金曜日の18時20分、サークルの集会がある日だ。

僕が入ったサークルでは、挨拶がこの「オツカレ‼」で統一されている。

朝も昼も夜も、サークルのメンバーと顔を合わせれば「オツカレ‼」だ。大学1年生の頃はなかなか慣れず、「ハロー」とか「ナマステ」みたいな感覚で「オツカレ‼」と言っていたが、こんな風習でも4年も続ければ自然と身に着くものだ。

このサークルは毎週金曜、18時20分に必ずメンバー全員が集まることになっている。4年生になれば就活やインターンで忙しくなる人も増えてくるので、3年生までが絶対参加、4年生からが自由参加となっている。しかし僕の場合、インターンに行く予定もなければ、就活まであと1年ほどある。

 

結局、恋愛もバイトも学業も、何ひとつ器用にこなせなかった僕はこのサークルが学生時代の拠り所になっていた。

ここは所謂バンドサークルで、僕が手に取ったのはベース。

ベースを選んだのは簡単そうだったのと、ギターやボーカルみたいな花形は自分に似合わないと思ったからだ。そもそも歌も下手だし、ドラムもギターも難しい。結果としてベースも難しかったので、音楽は難しい。ただ、この4年間ベースを触ってきて、簡単な曲はコピーして弾いたり出来るようになった。音楽の通知表が1でも、何とかそのレベルまでは到達できた。しかしまあ、お世辞にも上手いとは言えない。努力もせず自分の才能の無さを嘆いてばかりだったことは、大きな反省点である。

 

このサークルにはいろんな人がいる。本気でバンドをしている人や作家になろうとしている人。キャンプ好きな人もいれば、ゲーマーもいるし、ちゃんと要領よく全部こなせる人だっている。みんながそれぞれ個性的に自分を確立しているなかで、その全部が中途半端だった僕は、何者かになりたくて必死だった。肩書きが欲しかった。同時に、何者かになるのが怖くて仕方なかった。自分を表現する前に、表現する自分を見つけることが出来なかったのだ。

 

集会が終わると、決まって仲間数人と飲みに行く。大学から徒歩で10分ほどの、こじんまりとした居酒屋だ。暴力的な塩分を含んでいるであろうこの店の料理は、冷えたビールによく合う。僕らが飲みに行くときは、滅多にチェーン店を使わない。こういった個人経営のお店がほとんどだ。単に料理が美味しいってこともあるが、僕はなんだか社会の大きな流れに逆らっているような気がしていた。

各々が好きなメニューと飲み物を頼み好きなことを話す。サークルのこと、音楽のこと、恋愛のこと。そのうち店も閉まる時間で、二次会は僕の家だ。

 

映画を見たり、だらだらyoutubeを漁ったりしていると深夜になって、そのまま家に泊まる人もいれば、彼女が待っているからと言って帰る人もいる。みんなが自由気ままに、そして将来に向かって真剣に動いているなかで共通しているのは、毎週金曜の18時20分に顔を合わせるということだけだ。来週はどんな顔でみんなと会うんだろう。僕は、みんなに認められるような“何者か”になれるんだろうか。

 

そんな不安を捨てるかのように、空になったビール缶をゴミ箱に突っ込んだ。