その水溜りの深さは

1:僕について

小さい頃の記憶で一番古いのは、台所で仁王立ちしている母の姿だ。

食洗器付きのシステムキッチンで、すぐ側にベランダに通じる窓がある作りになっている。

ベランダから母を見ると、ちょうど窓から太陽の光が差し込み、仁王立ちの母に後光がさしている。仁王立ちってことは、きっと怒ってる。ああそうか、トイレが上手に出来なかった僕に痺れを切らし、母も我慢の限界だったのだろう。

これは後から聞いた話だが、僕が生まれた時は周囲からそれはもう多くの期待をされていたそうだ。

 

「将来はお医者さんか弁護士さんだねえ」

 

そんな言葉を誰かしらから言われていたのだと。なるほど、きっと将来にお医者さんや弁護士になるような子供はトイレもすぐ出来るようになるんだろうな。どこの誰だか知らないけれど、そんな無責任な台詞を吐くのはやめてほしい。お陰でこっちは医者か弁護士になる子供の成長に合わせてトイレを上手に出来るようにならなきゃなる。

 

それからの記憶は本当に断片的で、継続して覚えていることのほうが少なくなってしまう。特に小学4年生。マジで小学4年生の頃はピンポイントで何も覚えていない。小学4年生の頃に何があったんだ、そこだけ別の誰かがなりすまして登校していたんじゃないだろうか。その辺りで覚えていることは友達と遊んだことより、トランスフォーマーのキャラクターの方が多い。

 

中学生頃になると、だいぶ鮮明に思い出せるようになってくる。

1年生の時点で160cm程あった身長はピタリと成長を止め、整列する時にはいつも後ろにいたのが、3年生になる頃にはすっかり真ん中の辺りにいることになってしまった。

学業も身長に比例するようにぐんぐん落ち込んでいき、3年生の時は下から数えたほうが早かっただろう。

僕が通っていたのは地元の中学ではなく、受験しなければ入れない中学校で、それも試験に受かった学生のなかで抽選を行い、アタリを引かなければ入学出来ないという学校だ。

あの時に引いたのがハズレクジだったらどうなっていたか、今でもたまに考える。

中学で学んだことは、僅かな知識と、自分は圧倒的にいじられキャラだということだけだ。

 

 

 

 

「お~い、カバン持ってて。持つのめんどい。」

「え?いやいや俺もめんどいって。てかそのカバン中身はいってないだろ、自分で持ってよ」

 

「いやだるいから、お願い!」

 

自転車を漕ぎながら、坂田は強引に僕の自転車かごにペラペラに薄くなったカバンを突っ込んでくる。

 

公立高校の受験に見事に失敗した僕は、自宅から自転車で1時間ほどの私立高校に通うことになった。学年の人数は20人ほどの小規模な学校で、学業に力を入れています!といった謳い文句の“自称”進学校。保護者からの人気と学生からの人気が反比例していることは、学年の人数を数えてみればすぐに分かることだった。

僕の高校は靴が指定靴になっていて、女子はローファー、男子は白い運動靴(学校指定品)で、その運動靴がものすごくダサい。小学生や中学生が体育の時に履くような代物だ。他校の生徒が好きな靴を履いているのを見ると、とても悔しくなった。

もっとも、それを履いていたのは最初だけで、後半からはナイキのエアフォースを履いていた。

エアフォースを履くと何故だか少しだけ強くなった気がする。服や靴の知識があまりなかったので、あの靴が世界一かっこいいスニーカーだと本気で思い込んでいた。

 

坂田とは高校で知り合った。本人は否定しているが、どちらかと言えば不良と呼ばれるタイプで、不良やヤンキーカルチャーに憧れを抱いていた僕は彼と仲良くなり、結果として両親の期待を大きく下回る青春時代を送ることとなる。

 

放課後は、学校から少し離れた公園でだらだら無駄話をするのが日課になっていた。

「携帯見せて。」

坂田はそう言うと僕から半ば強引に携帯電話を奪い取り、俺のメールや着信履歴を漁ってくる。

たまに女の子とメールしていたのが見つかったときには、彼は意地悪そうな顔で茶化してくる。

 

大人になった今でも、人に携帯を見られるのは嫌いだ。

 

 

「お前もそろそろ彼女作れよ。じゃあな。」

一通り無駄話と俺のケータイチェックを済ませると、彼は帰路につく。僕は自宅まではあと40分ほど、自転車を漕がなければならない。

一度自転車を止め、学生服のポケットからウォークマンを取り出す。イヤホンを耳につけると自然と自転車を漕ぐエアフォースにも力が入る。

坂田に教えてもらったヒップホップや、もう一人の悪友、藤吉に教えてもらったロックを聴くと自分がもう一段階、強くなれたような気がするのだ。

 

大学は推薦入試で合格していたので、センター試験を受ける必要はなかったのだが、会場の下見は全員で行くルールだった。その時に運悪くテレビの取材に捕まり、まるでセンター試験を受けるように振る舞い、カメラに向かって「センター試験、頑張ろう!」と言った映像が実際に放送されてしまい、すごく気まずい思いをしたのを覚えている。

センター当日は一人暮らしを始める家の内覧に行った。

 

翌年からは福岡での生活が始まる。

1人暮らしの妄想にふけりながら自転車を漕ぎ続けていると、あと数分で家に着くところまできた。出来ることなら、いじられることもなく、サークルも恋愛も授業も要領よくこなせる大学生になりたい…。

 

 

僕の自転車かごには、坂田のカバンが無造作に突っ込まれたままだった。