その水溜りの深さは

野暮用があったので久々に外に出た。平日の昼過ぎということを差し置いても電車はガラガラで、座る場所を探すようなこともない。上京してから一回も満員電車を経験していないことに気付いた。それが幸運かどうかは分からない。

 

帰り道に新宿を歩いてみた。やはり人は少ない。普段はギラギラしていて、僕みたいな人間の欲望を掻き立てるネオンの光も、今日はその役割を果していない。ふと献血のポスターが目に入る。ここからすぐのビルでやっているらしい。時間もあったので、ささやかな社会貢献をすることにした。会場まで行って受付をすませると、担当の看護師(看護師なのかは分からないけど)の人が話しかけてきた。どうやら前回ぼくが献血をしたのは2015年で、福岡に住んでいた情報が残っていたので、住所や職業に変更があれば修正してほしいとのこと。そんなことすっかり忘れてたので、まだ情報が残ってることに驚く。というかちょっと引いた。まあ当たり前に情報は残っているんだろうけど、自分からすれば5年前に献血に行ったことなんてほんとに些細なことだったから。自分が忘れているだけで、僕の人生の大半なんて情報化されて、どこかで管理されてるんだろうな。なんて陰謀論みたいなことを考えているうちに僕の順番が回ってきた。

針を刺される。血が抜かれる。ふと友達に教えてもらった映画を思い出した。切断された手が突如動き出し、持ち主のもとへ戻ろうとする話だ。動き出した手は、持ち主の自我が残っているのか、それとも全く別の個体であったかは最後まで分からなかった。

 

ここで抜かれている血は僕の血なんだろうか。確かに僕の体内から抽出されたものに間違いはないけど、試験管に入れられてラベルが張られて、どこかで保管されるであろう僕の血は、それが自分の一部だとは思いづらい。つい数分前までは自分の一部であっただろう血液は、ひとたび体から流れ出てしまえば、まるで他人のもののように感じる。

それに誰かに輸血されれば、僕の血はその誰かの血になる。輸血された血を通して、誰か他の人が僕に成り代わるなんてことはないだろうし...

メタルギアに登場するリキッド・オセロットはそんな設定だったけど、僕は工作員じゃないし、実在する人物だ。

実在する?実在するという確たる証拠は何だろう。疑い出したらキリがないし、考えても答えは出ない。そもそも考えるという行為に不慣れな僕は、論理的な思考を勉強する必要がある。やっぱりちんちんを握る場合ではなさそうだ。