その水溜りの深さは

焦燥

早いもので、東京に居を移してからもうすぐ2か月が経とうとしている。とはっても、2週間ほど前に九州に帰る用事があったので、それまでの期間はチュートリアルといったところだろうか。こちらの生活にはだいぶ慣れてきたし、幸い同居人の人達はみんな優しいので色々と恩恵を受けることが出来ている。いずれこの家を出る時は来るのだが、ここで受けた恩を忘れてはならない。相手への感謝と、相手の主義思想に対するリスペクト、そして不必要に干渉しないことが僕の人間関係に対するエントリである。

エントリって言葉を始めて使ったが使い方は合っているだろうか。横文字はむずい。

僕が東京に来てから、まるでタイミングを見計らっていたかのようにオリンピックの延期、コロナウィルスの蔓延、外出自粛要請、緊急事態宣言...目まぐるしく世の中が変わっていってしまった。

それとは相反して、僕の人間関係はほとんど変わっていない。新しく知り合った人達は数えるほどで、それも大学時代の友人達に由来している。外に出ることもなければ、マッチングアプリでシコシコ出会いを探す必要もないので当たり前といえば当たり前なのだが。そんな状況でいると、自ずとシェアハウスの友人や、こちらに住む旧友と自分を比較する、なんて良くない癖がでてしまう。自分と人を比べる必要はない。分かってはいるが、やめられない。分かってはいるが、分かっちゃいけないような気もする。

彼らの持つスキルや経験は僕から見れば年齢相応に成熟していて、僕の持つスキルや経験は果たして本当に価値があるかどうか怪しいものだ。

この問題を解決する為には、価値ある経験やスキルとは何かを明確にして、それを鍛える必要がある。

もしくは、自分の持つスキルや経験が価値となる環境に身を置かなければならない。

どちらが有益な手段か、得意の比較で判断してみようかな。

 

プランA:価値ある経験やスキルとは何かを明確にして、それを鍛える。

 

僕はライターとして生計を立てたいので、文章力は必須だ。クラウドワークスやこのブログを通して文章を書くことには少しだけ慣れてきた。しかし慣れれば文章が上手くなるという訳ではない。文章力、いやそもそも良い文章って何だ?相手の知りたい情報を汲み取り伝えられる伝達力か?叙情的で芸術性のある表現力か?いやきっとどちらも必要だろう。であればそれぞれに特化した本を読み、斜に構えずそれらの情報を素直に受け止め、このブログで発信していけば良いだろう。

そしてある程度のPCスキルも必要だ。だってほとんどの人達はスマホやPCで文章を読むんだから、それらのガジェットに精通していて損はないだろう。

決して本や紙媒体を批判しているわけではない。どちらのコンテンツが優れているとか、そういった話はここではしていない。分かってくれ。頼む。

キーボードよりゲームボーイアドバンスSPを触っていた時間の方が長かったしゲームボーイアドバンスSPより握っていた時間が長いのはちんt…。

まあとにかく、これまでやっていなかった学習行為をする必要がある。これについても問題ない。時間はあるし、シェアハウスの優秀な人達がアドバイザーになってくれている。

この自粛期間を有効活用する手段としてはこの上なく良いものだろう。

 

プランB:自分の持つそスキルや経験が価値となる環境に身を置く。

 

そもそも自分には何が出来るかを明確にしなくてはいけない。営業はからっきしだったが、前職で掃除はそれなりに鍛えられてきたし、肉体労働は嫌いじゃない。

こちらでそういった仕事を見つけるか?しかし、それだと東京に出てきた意味が無くなってしまう。なら福岡に戻るか?嫌だ。申し訳ないがあの日々に戻れと言われたらその場で泣き出す自信がある。26歳の男性がその場で泣き出すなんて惨めすぎる。想像しただけで泣きそうだ。

 

こうして書きだしてみれば、どちらを選択すれば良いかは明確だろう。

プライドを捨て、しょぼい自分を認め、人や書籍に教えてもらい、自分でトライ&エラーを繰り返していこう。トライ&エラーは横文字だけど、流石に使い方は合っていると信じたい。

ストレスが溜まっていたので、今回もいつものネガティブマインドのまま散文を書いてやろうと思っていたが、こうして分析して書いてみると結論が導き出せるので多少は生産性のある投稿になったはずだ。

それでは、今回はこのへんで。

 

結論:ちんちんを握っている場合ではない。