その水溜りの深さは

誰か俺にこのしょうもない『癖』の有効活用法を教えてくれないか

幼い頃の俺は空想家であった。

ゲームやアニメのストーリーのなかに自分を入れ込んでは、原作顔負けのスケールで大暴れさせていた。

男性なら幼い頃に一度は通る道ではないだろうか。いや、きっと女性でも経験がある方も多いだろう。誰しもが一度はスーパーヒーローに、仮面ライダーに、プリキュアに変身したことがあるはずだ。オリジナルの悪魔の実を食べた人や、自分だけの斬魄刀を作った人だってたくさんいると思う。

例に漏れず、俺もそんな人間のなかの一人である。

ちなみに俺の斬魄刀は「米之水割」。読み方は「こめのみずわり」だ。

解放する時は「酔い惑え、米之水割」で卍解したら「大吟醸・米之水割」になる。

焼酎なんだか日本酒なんだか分からない。しかもこれを考えたのは大学4年生、22歳の時。卍解どころか挽回の余地なんてあったもんじゃないよ。

見てるか?22歳の俺、25歳の俺はな、夜な夜なこんな下らない記事をシコシコ書いているような大人になっちゃったよ...。

 

そんな俺でも大学卒業後には社会に出て、上司に嫌味を言われたりテレアポで精神をボコボコにされたり、清掃業者になって現場を回るようになったりして、自分で稼いで生活することの大変さを痛感していくうちに、そんな空想をすることは無くなっていった。

 

無くなっていったんだけど...。

 

 

いや~~~~たまに思いついちゃうんだよな~~~。

 

特に清掃中、これがまずいんだよ。慣れてくるとほんとに脳みそが思考停止しても作業が出来ちゃうときがある。脳汁が枯渇してカラッカラになった状態でしばらくいると、フッと頭に変なストーリーが思い浮かんでしまう。その瞬間、水栓が開けられたかのように脳汁が溢れ出していくのが分かる。

とりあえず今日思いついたのを書き起こしてみよう。

 

卑猥なる聖剣、セクスカリバー。この剣を取った人間はありとあらゆる分野において“抜きん出る”力を得ることが出来るという。

剣を取った男は伝説の“抜きん出る男”になる為に、凶悪な暴行犯“股裂きジャック”通称、ジャック・ザ・マッパーとの闘いに身を投じていくのであった…。

 

 

うわぁぁ...ひっでぇ。後になって見返すとほんとひでえなこれ。

多分そこらの中学生にも相手にされない気がする。

これで脳汁ドバドバ出してたんだから大したもんだよ逆に。

R-指定もびっくりの合法的トリップである。

そもそもなんだジャック・ザ・マッパーって。そんなんよりこんなこと考えながら階段の手すり拭いてる俺の方がよっぽど危ないわ、ふざけんな。

 

 

...でもさ、もし仮にさ。

こんなしょうもないことばっか考えてるような脳みそでも、どっかに需要があるっていうんなら、やっぱこの癖を活かしてみたいと思う訳です。

そして活かし方を学ばないといけないなと。

自分で書きながら少し襟を正された気分になりました。

 

それにしても、セクスカリバー、どんな形してるんだろう...。

 

 

 

 

調子悪い

調子が悪い。

もうほんとタイトルのままの意味で、それ以上でもそれ以下でもないんだけど、とにかく今の俺は調子か悪いのだ。

「上手くいかないなら全部諦めて寝てしまえばいい」ってのが持論のひとつとしてあるんだけど、寝たら明日が来てしまう。

明日が来ればまた汚れた作業に身を包み、俺はお掃除マシーンにならなければならない。

そんなの勿体ない!とは思いつつも、このブログを書いている間に6時間を下回った睡眠時間のことを考えると、少し胸が痛む。

この胸の痛みは何だろう、恋?

恋なのだろうか?俺はあのベッドに恋をしているのだろうか?

いやいや落ち着こう。ベッドなどという無機物に興奮する26歳男性、いよいよ取り返しがつかないぞ。

でも実際のところ、お金も使わず体力も回復する睡眠という行為は、一見無駄のように思えても実際はとても生産性のある行いなのではないだろうか…。

 

本当は、もっと笑えるしょーもない記事を書きたいところだが、今日はいつも以上に頭の回転が鈍いみたいだ。

 

~~~~~

 

朝である。

どうやら寝落ちしてしまったらしい。

嗚呼…今日もお掃除マシーンになる時が来てしまった…。絶対ルンバの方が性能いいよ…。

しかしそうはいっても現実は変わらない。

倦怠感と虚無感を抑え、俺は本日も出撃するのであった。

 

悪習

酒・金・女

男を狂わす3大要素と言われている。いや、正確には言われているかどうか定かではないんだが、NARUTO自来也先生が言っていたから間違いないと思う。

キャバクラでどんなに女の人に優しくされたって所詮はビジネス、僕らは搾取される側、そこはイチャイチャパラダイスなんかじゃない。

地獄である。

鼻の下が延々と伸び続けるだけの地獄である。そして今の俺がいる環境は、そんな悪習にまみれているといえるだろう。

もしも欲望が人の形を成していて、煩悩が1つの街とするのなら、それはきっとここ、雑餉隈のような街になるのではないだろうか。

しかし、慣れというものは本当に恐ろしいものである。

そんな悪習がどんどん普通になっていく。

ギャンブルに付き合わされることも、少し前と比べたら鼻の下が伸びたことも、何も感じなくなってきているように思う。

まずいまずい、非常にまずい。

これらの風習はよく「大人の遊び」と呼ばれることが多いけど、遊びといっても他にもっとあるんじゃないのか?というか俺、まだまだ子供の遊びで満足できるんじゃないか?

PS4で延々とゲームしてたいし、久々にケイドロとかやったらすごい楽しそうだし、どうせ課金するなら、装備固めてサバゲーにも行きたいし。接待ギャンブルで使った金考えたらそこそこいいエアガン買えるんじゃないか?

嗚呼、サイフに無限バンダナ巻きてぇ~。

ビッグボス、俺はまだまだ愛国者にはなれそうにねぇです…。

 

まあでも、そんな日々のなかにも得るものはあったし、何より今のうちに経験出来てよかったなって思ってる。これがあともう少し歳をとってからだと、尚更取り返しがつかなそうだしね。

それにそんな「大人の遊び」も本人が好きなら立派な趣味だし、その文化そのものを否定するのは間違ってる。今の俺の状態からすれば悪習だけど、それは俺がまだ未熟で貧乏で、他にやるべきことがあるからであって、やたら騒がしいあのパチンコ台にも、お酒を飲みたがるあのキャバ嬢にも、一切の非はないのである。

雑餉隈を出て、いつかもっと余裕が出来た時には、そんな悪習を嗜むのも悪くはないんじゃないかな。

う~ん、ギャンブルはもういいや。

 

ロングスリーパー

廊下の電球が切れていたことに気が付いてから、約一か月近くが経つ。

どうせ寝るときには使わないんだし、日中に家にいることなんてほとんどないんだから、いっそこのままでもいいやと思えてきた。

几帳面な人やしっかり者なら気が付いた次の日の仕事帰りにでもスーパーに立ち寄り、替えの電球を補充した後に手際よく交換するんだろうな。

そのどちらにも該当しない俺の部屋はお察しの通り、常に散らかっている。いや、散らかっているなんて可愛いもんじゃない。

今日も明かりのない廊下をスマホのライトを頼りに進んでいくと、自分の部屋ながら何か事件が起きたんじゃないか心配になるほどだ。脱ぎっぱなしの服や缶ビールの空き缶は、それぞれがその時から時間が止まっているように思えてくる。

セーブデータが1つのファイルに上書き保存されているのではなく、バラバラになって保存されているような状態だ。だからこの部屋はワンルームだけれど、この空間自体はバラバラである。

そういえば昨日も仕事着のままリビングの電気もつけっぱなしで寝てしまった。

その時の俺もそこらに転がる空き缶と一緒だったんだろうか。

そうなってしまうのが毎日の仕事疲れなのか、無理して夜更かししているせいなのか、退職の話をボスに打ち明けたせいなのかは分からない。まあ多分全部なんだろうけど。

 

若しくは、今まで口だけ達者だった自分が溜め込んだツケなのかもしれない。

実際のゲーム機は動かないままだとスリープモードになってその活動を停止する。

俺はずっと眠っていたんだろうか。

 

ならまだいけるよな。

 

※部屋が汚いのと明日からも頑張ろうって話です。

この心が揺れる時

分かってる。先ずは言い訳から始めさせてほしい。

思いついた時は自分のネーミングセンスに酔いしれたもんだ。

 

なにかと動作が遅い俺は、ブログの内容やタイトルを考えてから実際に書くに至るまで数日間かかるようなことも多々ある。

今回の投稿もそれに該当するのは言うまでもない。

 

「この心が揺れる時」

うーーーん、いいタイトルだ…。でもどっかで聞いたことあるんだよなあ。

まあでも、思いついた時は確かに自分で思いついたんだし。

 

まあいいか、悪かない別に。

こんな言い訳しかできない女々しい俺をどうか許してほしい。この話はブログに残しておきたかったんだ。

さてさて、読者の方々は一体どんな時に“心が揺れる”時を感じるのだろうか。

 

仕事で成果を残した時。

友達と朝まで飲み明かした時。

女の子と遊んだ時。

趣味を全力で楽しんだ時。

 

色んなケースがあると思う。逆に、どのケースも当てはまらないことだってあるとも思う。

俺は一体どっちなんだろう。それが分からないまま、流れに流され、25年間、嵐の後に漂う流木のように周りに流されここまで生きてきた。

今年で26歳、青臭い理想を語るだけの年齢ではないことは重々承知しているつもりだ。飲み会の次の日や、惰性でこなしただけの雑務の後に感じる虚無感とは、いい加減おさらばしたいところである。

今の俺に出来ることがあるとすれば、そんなどうしようもない自分の日常や、それに付随する感情を文章にして、このブログに残すことぐらいだ。

そんな愚行がこの先役に立つのかは全く予想もつかない。

それでも、いつかこの心が揺れるその時を信じて、拙い文章を綴っていこうと思う。

 

P.S

自分の文章を見直すと、どうも歪んだナルシズムを感じてしまうことが多い。

いつか、その話題についてもこの場所で書くことが出来るといいな。


EVISBEATS【MV】ゆれる feat. 田我流

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日が月曜日

惜しい!

あと1日ズレていればユートピアの完成だったのに…。

我が社(会社かどうかはとりあえずここでは置いておこう…)が営む清掃業は、この時期に大変な繁忙期を迎えていた。

春、出会いと別れの季節。

やっと桜が咲いたかと思えば、ほんの少しの間に散ってしまう。

新しい季節の訪れに高揚する心のなかには、ほんの少しの不安が同居していて、そしてその感情は散りゆく花びらのように儚く、脆く、少しの時間が過ぎれば気付かないうちに何処かへ飛んでいってしまう…。

 

なんてことを考える余裕はない、むしろ余裕があってもそんなに考えない。

今日も今日とて、心も頭も空っぽのまま落ちていた花びらを塵取りで集めてはゴミ袋に突っ込んだ。

次から次に仕事が詰め込まれてくる。嫌でもやってくる明日とこれに対する憂鬱に抗う感覚は、タイトル通り毎日が月曜日のようである。

 

ただ、俺がこの先進もうと思っている道は、今以上に過酷で、孤独で、救いようのない道のはずだ。だからこんなことで弱音を吐いてはいられない。むしろ、そんな状況もネタになるなら記事を書けるし、マイナスなことも料理の仕方によればとんでもない絶品に仕上がることもある。

どんな時でも常にアンテナを張っておくことが、この先功を奏する為に必要なスキルなはず。

今はそれを信じることに賭けてみたいと思っている。